上沼恵美子の若い頃の漫才スタイルは?画像が美人で話題に!

上沼恵美子

 

上沼恵美子さんは大御所だとか、お笑いの伝説的な存在として扱われていますが、若い頃の漫才スタイルはどのようなものだったのかご存知ですか?画像が美人で話題になっているようです!上沼恵美子の若い頃の漫才スタイルは?若い頃の画像が想像以上に美人?チェックしてみましょう!

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上沼恵美子はM-1で審査員を務めるほどの有力者!

 

上沼恵美子さんはバラエティ番組に多く出演されていますよね。中でもびっくりなのが、M-1で審査員を務めていらしたことです。タレントのイメージが強い上沼さんがなぜ?と思った人も少なくないと思います。

しかし、それは、実は上沼さん自身が漫才をやっていたからなんです!

2007~2009年、大会委員長であった島田紳助さんからの直々の依頼により、上沼恵美子さんは『M-1グランプリ』に初の女性審査員として出演していました。

『M-1グランプリ』再開後の2016年からも審査員として出演しています。

ちなみに夫である上沼真平さんは初期の『R-1ぐらんぷり』で審査員を務めていました。

 

上沼恵美子の若い頃の漫才スタイルはどんな感じ?

銀行員の父が演芸好きだった影響を受けて、上沼さんも幼少時から姉妹揃って演芸や歌を見たり聞いたりして育ったそうです。

さらに、祖母は浄瑠璃の師匠で太棹三味線の名手でした。姉は浄瑠璃のものまね、上沼さん自身は美空ひばりのものまねをよくしていたようです。

そして幼少期から、ラジオやテレビの素人コンクールに本名で出演していました。当時は父を含め、トリオで三味線を持ちながら浄瑠璃を語ったり、アコーディオンを持ったり、音曲漫才をやっていたそう。

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上沼恵美子の若い頃の漫才コンビについて・デビューは?

 

上沼恵美子さんは1970年代に、海原千里・万里(うなばらせんり・まり)という姉妹漫才コンビとして一世を風靡しました。

海原万里(現・芦川百々子さん)、海原千里(現・上沼恵美子さん)は実際の姉妹です。

実は、上沼恵美子さん自身はもともと歌手志望でした。しかし、漫才コンビとしてデビューするはずだった姉・百々子さんの相方が、デビュー直前に逃亡したため、代わりに姉と漫才コンビを組むことになったそうです。

そうして、1971年に姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の妹海原千里(海原お浜・小浜門下)としてデビューします。同年には、上方お笑い大賞銀賞を受賞。

まだ中学卒業して間もない上沼さんでしたが、かなりお笑いのセンスが高かったようです。

 

上沼恵美子の若い頃の漫才は大物に認められてた

実は、この上沼姉妹の漫才コンビ【海原千里・万里】は芸能界の大物といわれる方々にも、認められる存在だったといいます。

海原千里・万里は無名だったころ、毎日放送の『スター漫才選手権』でアシスタントを担当していました。当時の司会であったロイ・ジェームスが「このコンビは絶対出世する」と評価しており、実際にそうなりました。

また、大御所芸人であるビートたけしは、女流漫才コンビのほとんどを認めていませんが、海原お浜・小浜と千里・万里は例外だそう。特に千里・万里については「巧かった」と懐述していたそうです。

当時の同世代の若者に刺激を与えた存在として、人気ロック歌手や人気俳優などと同等に並び称され、島田紳助も「当時、千里・万里の影響受けてない若い奴いてないん違いますか」と言っていたそうです。

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上沼恵美子の若い頃の画像が可愛いと話題!

 

右が当時の上沼恵美子さん、左がお姉さんです。とてもお綺麗ですよね。

当時は、人気アイドルだった天地真理さんに倣って、「漫才界の白雪姫」とも呼ばれていたのだとか。

現在は、どんな芸能人にも正直に厳しいコメントもずばずば言うおばさまというイメージが強いので、少し意外ですね!

 

上沼恵美子の若い頃漫才だけでなくのど自慢でも有名だった!

上沼恵美子さんは、幼少の頃から数々のちびっこのど自慢大会に出場し、「のど自慢荒らし」と呼ばれていたそうです。

当時のライバルはなんと、天童よしみさん。毎回、天童さんには優勝の座を奪われ、上沼さん自身は惜しくも準優勝だったようです。

さらに「海原千里・万里」時代の1976年には「大阪ラプソディー」を発売し、40万枚売り上げという大ヒットを記録しています。

また、そのころ大物歌手である北島三郎さんのコンサートの前座を、「海原千里・万里」が務めた際には、北島さんに歌唱力が認められ、北島さんのもとで歌手を目指さないかとまで言われたというエピソードもあるそうです。

そして、漫才コンビを解消してからも、上沼さんは歌手として一年に一度は大阪フェスティバルホールなどの会場を使用して関西地区限定でコンサートを行っています。

つんく♂(シャ乱Q)さんがプロデュースした曲をリリースしたり、円広志さんから楽曲提供されたり、高田純次さんとデュエットしたりもしているのだとか。

歌手として『NHK紅白歌合戦』へ出場したいとも思っているそうです。もし、上沼さんが出場したらどうなるのか気になりますよね。

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上沼恵美子の若い頃芸能界を引退してた?

 

上沼恵美子さんは1977年5月22日に8歳年上の関西テレビディレクターである上沼真平さんと結婚します。
実は親族や親類全員が反対する状況下での結婚でした。

そして上沼さんは姉とのコンビを解消し、ラスベガスからカウアイ島へと渡る新婚旅行を経て、芸能界を引退します。

しかし、1978年4月、長男を出産した後の7月に芸能界へ復帰しました。さらに、1983年5月に次男を出産。

芸能界に復帰したことについて、上沼さんは番組内で「自分には専業主婦は耐えられなかった」と言っていたそうです。

 

上沼恵美子の若い頃から現在までの画像をチェック!

 

 

漫才コンビ『海原千里・万里』としてデビューした当時の上沼恵美子さん。アイドルと言っても違和感のないくらい整ったお顔立ちですね。

 

 

漫才コンビながら曲をリリース。

画像の「大阪ラプソディー」はなんと40万枚もの売り上げを誇ります。

 

 

少し大人っぽくなってきましたが変わらずお綺麗ですね。

 

上沼真平さんとの結婚式でのお写真です。花嫁姿、ステキですね!

 

そして最近の上沼恵美子さんです。見慣れた上沼さんですね。

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#上沼恵美子 さん

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上沼恵美子のプロフィール

 

上沼恵美子(かみぬま・えみこ)さんは、1955年4月13日 生まれ。

兵庫県三原郡南淡町、現在の南あわじ市福良乙の出身です。帝国女子高等学校大和田校(現在の大阪国際大和田高等学校)を中退しています。

中学卒業間もなく売れっ子の漫才コンビになってしまったので、学業はあきらめざるを得なかったのかもしれません。

そして、1971年に姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里としてデビューしました。レコードも多数発売し、「大阪ラプソディー」は大ヒットを記録。

その後、元関西テレビ所属のテレビ演出家、プロデューサー、常務取締役・制作局長、元メディアプルポ(関西テレビ完全子会社)代表取締役会長の上沼真平と結婚します。

 

ただ、結婚を機にコンビを解散し、一時は表舞台から遠ざかりました。しかし、タレント上沼恵美子として芸能活動を再開します。

それからは、テレビやラジオで多数のレギュラー番組を抱え、94・95年に2年連続で「NHK紅白歌合戦」の紅組司会者を務めるなど、日本を代表する人気タレントとなりました。

 

上沼恵美子の若い頃の漫才スタイルは?画像が美人で話題に!まとめ

今回は「上沼恵美子の若い頃の漫才スタイルは?画像が美人で話題に!」という内容でご紹介してきましたが、いかがでしたか?

また、最新情報が入ったら更新していきますね!

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